Past Exhibition

Rue Emile Richard, Paris 14e

Hiro TOBE 写真展「エミール・リシャール通り、パリ14区」

2010年3月8日(月)〜3月13日(土) 11:00〜18:00

…今でもなお、夕方通りを歩いていると、ぼくの名前を呼ぶ声が聞こえることがある。少しかすれたような声だ。ぼくの名前の音をひとつひとつをひきずるようだ。誰の声かすぐ判る。彼女の、ルキの声だ。ぼくは後ろを振り返るが誰もいない。そういうことがあるのは夕方だけではない。夏の昼下がりのぽっかり空いた時間にもある。今自分がいるのがいつの年の夏なのかわからなくなってしまう、そんな頃合いだ。あらゆる出来事が、前と同じように何度でも繰り返される。同じ日中と同じ夜中、そして同じ場所と同じ出会い。永遠の繰り返しだ。…
 
…今思い出したのだけれども、ルキと出会った頃、ぼくはある文章を書こうとしていた。題名は「中立地帯」、だった。パリの町には、どこにも属さないような中間的な地帯がある。いわば、戦いの膠着した前線において、向かい合った両軍のどちらにも属さない場所、ノーマンズランドのような地帯である。そこに居ると、あらゆる出来事の外縁にいて、移動中というか中ぶらりんな状態になれるのだ。そこに留まる限りは、外からの追求を避けられるような、外交官のようなある種の特権を享受できるのだ。…
 
…先日、ぼくはあの通りを歩いてみた。その通りは両側がプラタナスと高い塀で縁取られていて、モンパルナス墓地を二つに分けている。ここは、ルキの住んでいた安ホテルへの帰り道のひとつだった。彼女がここを通りたがらなかったことや、それでぼくたちは、ダンフェル・ロシュロー通りの方から帰っていたことが想いだされる。でも、お終いのころは、ぼくたちにはもう何も怖いものはなかったし、墓地を横切っているこの通りにも、夜中、木の枝のトンネルの下を通り過ぎる時には、それなりの魅力があることにも気づいていた。こんな時間は、車一台通らなかったばかりか、ぼくたちは人にも全く出会わなかった。
本当は、この通りもパリの「中立地帯」のリストに書き加えておくべきだったのだけれども、そのときは忘れてしまっていた。今思うとこの通りは、中立地帯というより国境地帯だった。というのも、通りの端までたどりつくと同時に、別の国にぼくたちは入っていたのだ。そこは、恐ろしいパリとは違っていてもう何の危険も無い。
先週この道を歩いたのは、夜中ではなく、夕方近くだった。そこにはもうずっとあれ以来行ったことはなかった、二人であの通りを歩いたり、あるいは、ぼくが君をホテルまで探しにいっていたあの頃以来。一瞬、この墓地の向こうまで行けば君にまた会えるような幻覚におそわれた。向こう側は、きっと、永遠の繰り返しなんだ。前と同じしぐさで、君の部屋の鍵をホテルのレセプションで取る。前と同じ急な階段。前と同じ白い扉に、前と同じ部屋番号、11。そして前と同じように君の帰りを待つ。…(パトリック・モディアノ「失われた青春のカフェで」)

パリ14区にあるこの通りエミール・リシャール通りのことは、モディアノの小説のこの一節を読んで知った。
実際に訪れたのは、五月のうす曇の日だった。小説の題名となったカルチエ・ラタンのカフェに程近いホテルに私は住んでいた。そこからこの通りまで歩いて2~30分だったろうか。木漏れ日の差すこの通りは不思議な空間だった。道の両側には建物がなく、替わりにプラタナスの並木とモンパルナス墓地の石の壁が続き、木々の枝の向こうには空が見える。両側をあの世に挟まれたこの世の真空地帯のようである。さらに、この通りは異世界へのトンネルのようでもあった。北側(パリの中心部に近いほう)の入り口あたりまでは、大都市である。19世紀の大きなアパートメントが大通りに沿って建っている。しかし、一度「トンネル」を通り抜けると、そこは村の雰囲気を残している。実際、そこは、かつてモンルージュ村だった所である。低層の家が立ち並ぶ静かな一角である。パリ市内のささくれだった空気が、田舎のゆるやかな空気に変わったような幻覚がする。
この小説の主人公にとって、パリの街中は危険な場所として描かれる。素性があやふやで、頼れる身寄りもいず、世の中での居場所もなく、社会秩序の外側でおびえている。「社会情勢」から身を守るために名前を偽って暮らしている。誰にも頼れず、かえって、怪しい人間と知り合い危険の深みにはまっていく。ある意味、単身パリに辿り着いた不法移民にも似ている。素性の怪しい、いわば匿名の人間にとって、パリは危険地帯である。逆に、田舎の村や地方都市はのんびりした安全な場所である。パリの町と一緒に、自分のあやしい素性や後ろ暗い過去、そして危険な知り合いを捨て去って安心していられるような場所として描かれている。そして、パリの中でも「村」の雰囲気を残す場所に同じようなひとときの安らぎを感じる。それが、主人公の言う「中立地帯」だ。しかしながら、その安らぎは幻想である。主人公達は、結局のところ、パリとその過去とに追いつかれてしまう。そもそも、本当のノーマンズランドに入った者は、逃げ場もなく撃たれてしまうので、そこでは誰も生きてはいられないのだ。
 
これらの写真の、きらきらして移ろい易い木漏れ日、ずっしりとした石の壁、そして空虚な道から、パリにまつわるこうした感情を見取っていただければ幸いである。ー Hiro Tobe ー

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